3mmだけ。

たった3mmだけでも世界は動く。

うつ病の旦那をもつ家族の話し。

どーもどーも。坂木 (@sakaki3mm) です。

いつか書こうとか、きちんと書きたいとか、そんな言い訳みたいなのはやめて、とりあえず書くことにします。

アウトプット重視で。

打ちっ放しの文なので読みづらいとか、意味分からんとか多々あるかもですが、ご了承ください。

これが誰かの役に立つかは分からんけど、子育てに疲れてるママンにとって、「旦那がとにかく働いてくれている」っていう事実だけでも、本当は有難いことなんだと、頭の片隅にでも残しておければ、すこしは優しく……なれないか?笑

サービス業の会社

2号の妊娠が発覚し、このままの給与ではやっていけないと思い、話し合った結果、10年勤めたサービス業を辞めた旦那です。

いま思えばわたしの憶測が間違っていたのだろうか、とも思うけれど、当時は土日祝日は仕事、ショッピングセンターにあるような職種のため、10〜21時とかで働いて、労働時間は週単位で時間調整してるようなブラック企業でした。(これよくあるんだろうけど、ブラックだよね?)

休日自体は月に8日はあったので、まあまあ…まともといえばまともなんだろうけど。とにかく給与は10年働いて手取りで20万に満たなかったので、もう少し彼なら稼げるだろう、というわたしの傲りだったのかもしれない。

電気工事の会社

彼が自分で見つけてきた会社は、以前の中小企業から、さらに小企業の社員3〜5人の電気工事の仕事でした。

社長は社員想いで、なんの電気経験もない彼を雇い、10年勤めた会社より良い給料を与えてくれました。

けれど小企業ゆえに、どこへでも仕事をしに行くスタイルだったので、入社早々から長期長距離出張に行くようになりました。さらには電気工事ゆえに、日中に出来ない作業があったりと夜勤も加わりました。
夜勤や出張の話しは、面接時から知らされており、その覚悟で勤めていた会社より良い給料が貰えるなら!と強く意気込んで入社したのでした。

10年勤めた会社は、長時間労働はあれど、地元企業だったため出張がまったくなく、夜勤もない会社でした。
シフト制の仕事を10年していたので、変則には適応できると思っていたのですが、日中と夜中では訳が違ったのかな。

わたしの妊娠生活

そんな中、2号妊娠中のわたしはというと…。

1号の時は痛みに鈍いわたしが、パートの仕事で無理をしすぎ、切迫早産で2ヶ月半の入院生活をしてました。
2号の時には仕事で無理をするまい!!と固く誓い、仕事では無理をしなかったけれども、そういう旦那の仕事環境の変化に慣れず、小さなストレスが溜まっていっていたのです。

そして新しい職場で働き始めて1週間…。

旦那は、家に帰ってきては1号の面倒を見さされる嫌気?からなのか?、夜勤明けにも関わらず、謎に少し遠くのショッピングセンターへ(近くのショッピングセンターにはないタワレコを見に)行った帰り…。

軽自動車を廃車にする事故を起こしました!


わたしの中でストレスの度合いがこれきっかけでマックスになりました。

そして、ストレスを軽減させる生活を試みていたにも関わらず、妊娠20週にして、切迫早産で入院をすることになるのです。

入院前のわたしの父親

この病院の入院環境もどうなのかと疑問になるけれども、1号はまだ2歳5ヶ月なのに、母親であるわたしと、離れて生活をせざるを得ない状況となりました。

そして、父親である旦那は出張であったり、夜勤であったりと、不規則な環境であったため、近くのわたしの実家へと1号は預けられたのであります。

これまた大変なことで、お互いの実家は共に離婚家庭であります。

わたしは、高校2年の時に両親が離婚をし、母親に引き取られていました。
唯一父親とメール連絡くらいをしていたわたしに、癌になったと連絡があったのは2014年の夏。余命半年と言われていたが、丸一年は充実した楽しい生活をしたようで、もういよいよと入院したのが2015年の12月でした。

そう。2号の妊娠とほぼ同時期で、その1ヶ月後に父親は亡くなり、葬儀をしたりと本当にバタバタの妊娠生活でした。

年表

2015年12月 父親入院
2016年1月初旬 2号妊娠発覚
中旬 父親他界
2月 父親に関する後処理
3月 中旬 旦那仕事辞める休む間も無く新しい職場へ
3月 下旬 廃車事故
4月 下旬 わたし入院
8月 中旬 2号出産
9月 下旬 2号生後1ヶ月、旦那仕事を辞める
10月 上旬 病院へ行く

とりあえずここまで

1時間1000円かけて、1号を遊ばせてこれしきしか書けない…

第二子、息子2号が明日誕生日やで!言いたいことは分かるやろ? - polca(ポルカ)