3mmだけ。

たった3mmだけでも世界は動く。

わたしが「母」として生きるということ

どうもお久しぶりです。坂木 (@sakakiroku3mm)です。
ずっとブログを更新したくて、色んなネタはたくさん仕入れてるんですが、
いかんせん時間がない!!(´;ω;`)ウゥゥ

時間は「作る」ものだと常々意識しながら生活してはいるけれども、
どうにもこうにもうまく行かないのが現実なんですよね。
いつも思うんですけど、
ワンオペの人、フルタイムWMの人とかは、
本当どんな生活をしてるのかなぁ、と尊敬します。

わたし自身、二人目の2号が生まれてからというもの、
夫がうつになったり、仕事辞めたりで、
なんとか貯金を崩して1年生活したのだけれども、
それでもお金に対する不安は非常にあって、
子どもが居ながらできることや、
子ども連れでできる仕事がないか、
といろいろ模索してやってきました。

結果としてはほとんどお金にはならず、
なにが得られたのかはよく分からない現在なのですが、
NPO法人の有償ボランティアをしてみたり、
地元でのサイト運営やイベント開催のお手伝いをしたり、
はたまた知り合いの社長さんに頼んで、
保育園に預けられてからの仕事を紹介してもらったり、
県内の「働き改革」推進運動の意見交換会に参加したりだとか、
自分の働き方や、生き方について、
嫌というほど直面してきて、向かい合ってきました。

けれど、
生きていくために必要な「お金」を生み出すことができず、
ただただ焦りや不安に押しつぶされてしまいそうな日々です。

生きることは動き続けること

でも、
向き合ってきた結果として、
やっぱり自分には
「好きでないこと」や「興味のないこと」
を無理やりしていけるような性分でもなく、

自分が「いかに楽しく生きていけるか」

これを追求して、どうにか生活していくための、
お金、はたまた、それに代わる「なにか」を
得る必要があるのだと、
この2年弱の間で、強くおもいました。

「母」だからと「なにか」を犠牲にもしたくない。
「母」だからと諦めたくもない。

むしろ
「母」だから

というワード自体がナンセンスなんじゃないかと、
最近はよく思うのです。

生きるということは自分と芯から向き合う作業

自分自身、もう小学生の高学年や中学生のころから、
「生きる」ということについて
不安や疑問や、なぜ生きるのか、
ということについてずっと考えてきました。

母親の愛情がなかったわけではないのだけど、
それをうまく吸収できず、
子どもらしく成長させてもらえず、
自己肯定感をはぐくむことができずに、
希死念慮のようなものを
いまだにじゃっかん持っています。

なんのために生きるのか
(某アンパンの歌みたいね笑)
なにをするために生きるのか

ずっと、ずっと考えています。

小さい当時、自分で出した答えは
「生きることは 生きる意味を 探すことだ」

ある意味で核心のような気もしますけどね笑。

生きていくには自分の喜怒哀楽を分析すること

結局のところ「生きる意味」ってなんぞや

ってなったときに、
自分にとって、楽しいことやうれしいこと、
しあわせなこと、喜ばしいこと、感動すること、
そういう「感情」を得たときに、
生きていることを実感するというか、
大げさな言い方で「生きていて良かった」と
思うような気がします。

だとしたら、
その感情をいつも、毎日、ずっと、
持ち続けられるのであれば、
それは「自分」にとってすごく良いことなんじゃないかな、
と思うようになったんです。

それをするには
まず、
自分がどんな時にうれしいか、
どんな時にたのしいか、
どんな時に喜べるのか、

そういう感情が生まれる瞬間を
「自分自身」が把握していなければならない、
ということに気が付いたんですね。

(え?普通の人はみんなとっくに気づいてるの?笑)

生きることは自分自身と向き合うこと

ということで、
わたしはここにたどり着いたのです。



そんなわたしは、
まだまだしょっちゅう「死にたい」
と心の中でおもうことがあります。

それでもなんとか、
楽しいこととか嬉しいこと、
幸せなことを自分で見つけるようにして、
必死に「生きて」います。

タイトルに「母」として、
と書いたけれども、
文中にも書きましたが、
「母」としてなんてナンセンスなんです。

母だからとか、
妻だからとか、
女だからとか、

そんなことはどうだっていいんです。

「自分自身」がいかに
「自分」と向き合って、
たのしく幸せに過ごすことが
できるように仕向けてあげられるか。

子どもだってもちろん大事。
子どもの笑顔で幸せになれる、
というのならば、
その子どもの笑顔をいかに引き出せるか。
それは「子どものため」ではなくて、
「自分のため」

子どもがいて大変、
子どもと離れられる時間をつくることが
自分の幸せに繋がるというのならば、
その離れられる時間=自分にとっての幸せ
をいかに作ってあげられるか、
に全力をそそいで「生き」ればいいのです。

まとめ

とにかく幸せに「生きる」

さかきメモ

こんなことを書くつもりで書きだしたわけじゃないけど、
なんかこうなった(/・ω・)/

みんな楽しく生きようぜ。

(お前もな。)
今から洗い物ほったらかしで映画みるよー

簡単には死ねない。死ぬのも実は難しい。

そんな記事を発見しました。

死にたいあなたへ、飛び降り自殺失敗者が送るメッセージ - 専業主婦卒業宣言!

なんだか、これも運命なのかな、
なんて思います。
月城さん、ありがとう。

神は乗り越えられる苦難しか与えない

まさにそうなのかもしれないなあ。
今この状況をどう打破していくか、
これを乗り越えた先には、
また新しい世界が見える。
そんな気がします。

わたしは、
どうしても人に頼ることや、
助けて、と声にあげることができない。

どちらが少数派でどちらが多数派なんかは
分からんけども、
わたしと同じような人間は
きっと居るはずで、
そんな人の力になりたいな。

さて、なにができるだろうか。

まずは当面の生活費を稼がないと。
悲観してても仕方ない。
やれるだけのことはやろう。


今はまだ日記ブログだけど、
少しずつ記事ブログにシフトしていきたい。

ちょっとぐちぐち。

どーも、坂木 (@sakakiroku3mm) です。

ちょっと吐き出し。
ただの愚痴です。

すみません。







しにたいくらいしんどいです

2人目を妊娠中に
旦那は10年勤めた会社を転職したのだけれど、その後すぐにわたしが切迫早産で入院をしてしまいました。
4ヶ月もの入院生活の間に
わたしの実母と旦那のギクシャクや、
旦那の職場での過酷な状況から、
旦那は気付いたらうつのような状態になっていました。

そして
2人目出産後
産後1ヶ月にして、
旦那は仕事を辞め無職になりました。

病院へ行って、
うつと診断できる状態である、
と言われただけで、
診断書をもらうことなくきたので、
保育園に2人目を入れることも出来ず
わたしは仕事をすることもままならず、
今のいままでやってきました。

その間は、
うつがよくなるようにと、
彼が思うように、
飲みに行ったり、
山に行ったり、
バスケに行ったりと、
自由気ままに過ごしてもらってました。

その間わたしは、
4ヶ月の入院生活直後から、
料理をする菜箸をさばくだけでも
筋肉痛を起こすような状態で、
新生児のお世話、
1人目3歳児のお世話、
うつの病人のお世話と、
わたしはわたしなりに必死にやってきました。

妊娠中に亡くなった
実父の350万ほどのの生命保険でなんとか
まかなってきました。

もう貯金も底をつき、
旦那の実家に借りました。

旦那はなんとか11月後半から
友達の建築現場で
働かせてもらうことが決まり、
仕事には順調に行ってますが、
今まで病人ながらも、
2つ手があった状態から、
わたしは一気にワンオペ状態になり、
これまで頑張ってきた疲労も蓄積で、

もう限界です。